最近、強く思う。
僕は、ここに存在していていいのですか―――――?
在るべき場所
出逢ったのは、DDSの最終試験場へ向かう船の上だった。
特定の友人を作らないよう常に周囲と距離を置いていた自分に、なんの気兼ねもなく近付いてきたキュウ。
こんな言葉、とても口に出しては言えないけれど、正に“運命の出会い”だった。
彼に出逢ったからこそ、今自分は“本当の自分”でいれると確信を持って言える。
彼がいてくれたからこそ、DDSで沢山の素晴らしい仲間と出会い、楽しい学園生活を送ってきた。
けれど、ここで自分は特異な存在だ。
ここは、かの名探偵・団守彦を慕い、世の事件を解決に導くスペシャリストを目指す人間が集う場所なのだ。
しかし、自分は―――――
団守彦を尊敬する気持ちは勿論ある。
犯罪を憎む気持ちもある。
けれど自分は、正義などとは程遠い、犯罪組織の後継者という立場に立たされているのだ。
望もうと望むまいと、それが事実。
キュウは、先の事件で自分の正体を知ってからも、以前と変わらず接してくれる。
自分の事を、仲間だとさえ言ってくれる。
そんなキュウの存在は、とても大切で、かけがえのないもので。
でも。
ふ、と思った。
僕は、このままキュウの側にいていいのか……?
これまで、冥王星絡みの事件は幾度となくあった。
自分が関わった事件だけでも、その数は決して少なくはない。
このまま自分がこの場に留まっていたら、大切な人たちをどんな危険に巻き込んでしまうかなど予想がつかない。
そう。
僕は危険因子。
いつまでも安穏と、この暖かな光の中に包まれているわけにはいかない。
そろそろ、潮時のようだ―――――
「今日はここまで」
チャイムと同時に、本郷は教科書を無造作にひとまとめにし、早々に教室を出て行った。
「あ〜疲れた。本郷のヤツ、俺ばっか集中攻撃しやがって…!」
「キンタが居眠りしてるのが悪いんでしょ?」
放課後、いつものように他愛無い話をしながら帰宅の準備をする。
「くそ〜、頭使ったら腹減っちまった。なあ、久しぶりに皆でなんか食いに行かねぇか?」
「行く行く〜!」
「まあ、たまには庶民の食べ物を楽しむのもいいかな」
「へーへー、言ってろ言ってろ!」
お決まりのパターンが展開する中、ガラリと扉の開く音が響いた。
「あれっ、どこ行くの?」
いつの間にか帰り支度を済ませて帰路に着こうとしているリュウに、キュウはすかさず声を掛けた。
「リュウも一緒に……」
「僕はいいよ」
リュウは、キュウの言葉を遮って無愛想に答えた。
「えー、なんで?なんか用事?」
「別に」
冷たく放った言葉にもキュウはめげない。
「じゃあいいだろ?一緒に行こうよ。リュウがいないとつまんないじゃん!」
キュウは駆け寄って、廊下に出掛かったリュウの肩をぐっと引いた。
その瞬間。
「僕に構わないでくれ!」
リュウは、肩に掛かったキュウの手を乱暴に払いのけた。
「あ……」
教室が、重い静寂に包まれた。
「リュウ……?」
名前を呼んだ瞬間、リュウが一瞬辛そうな表情を浮かべたのをキュウは見逃さなかった。
「……ごめん。僕の事はいいから、キュウ、楽しんできなよ」
リュウは、形だけの笑みを微かに浮かべて静かに扉を閉めた。
「どうしちゃったのかしら、リュウ君……」
メグが、心底心配そうにポツリと呟いた。
「ごめん、俺も帰る!」
「お、おいキュウッ」
キュウは、机に置いたままだった自分の鞄を乱暴に掴み取ると、慌しく教室を飛び出した。
廊下を駆けていくキュウの足音があっという間に遠ざかり、教室は再びしんと静まり返った。
「…まただわ」
「どうしたの?」
独り言のようにポツリと言ったメグに、カズマが反応した。
「うん…。前にもあったんだけど、リュウ君の様子がおかしい時、いつも何か悪い予感がして…。
何事もなければいいんだけど」
不安げに視線を落とすメグの横で、キンタが声を上げた。
「大丈夫だって。キュウのヤツ、見かけによらず頼りになるところもあるしな。今は、アイツに任せようぜ」
「うん……」
キンタは、不安を拭いきれない様子のメグの背中をポンポンと叩いた。
「リュウいるッ?!」
キュウは、自宅の玄関に駆け込むなりそう叫んで、バタバタと二階へ駆け上がった。
バタンと音を立ててリュウの部屋の襖を開けたが、そこに部屋の主はいなかった。
「キュウッ、一体何なの?!帰るなりドアも閉めずに…」
「母さん、リュウは?!」
階段を上りながら声を上げる母親を遮って、キュウは問い詰めるように聞いた。
「え…リュウ君ならまだ帰ってないけど……ってちょっと、キュウ?!」
その言葉を聞くなり、キュウは再び階段を駆け下りて、脱ぎ散らかした靴を煩わしそうに履きながら玄関を飛び出した。
「リュウー!」
DDSへ一緒に通った道、寄り道した公園、ゲームセンター、ファーストフード店……
二人で行ったことのある場所を片っ端から探しまわった。
何故だか分からないが、二人に何らかの関係のある場所にリュウはいると、キュウは思った。
しかし、思い当たる場所を一通りまわってみたものの、リュウの姿は見当たらなかった。
日暮れの近付いた空はいつの間にか厚い雲に覆われ、辺りを薄闇で包み込んでいる。
「一体どこ行っちゃったんだよ……」
今見つけ出さねば、もう二度とリュウに逢えない気がする―――――
根拠のない焦燥感がキュウを支配する。
見落としている箇所がないかと、リュウと出会ってからの記憶を順に辿ってみる。
事件解決のために出向いた場所が数箇所あるが、そんな場所に行くとは思えない。
他には、他に行ったことのある場所は……。
脳裏から、先刻のリュウの悲しげな笑みが離れない。
つい数時間前の事なのに、もう随分前の事のように思える。
「リュウ……」
キュウは、ぐっと拳を握り締めた。
とその時。
「あ……」
ふと、随分前の記憶が脳裏を掠めた。
リュウにその日中学校であった出来事を話していた時、一度だけ先刻と同じ悲しげな笑みを垣間見たことがあった。
その時聞いた、リュウの言葉―――――
『僕も、普通に中学校に通っていたかった……』
「学校だ…!」
キュウは、僅かな迷いもなく自分の通う中学校へ駆け出した。
―――――オ前ノ身体ニハ、誇リ高キ悪魔ノ血ガ流レテイルノダ
―――――逃レラレマセン、血ノ運命カラハ
「もう、やめてくれ……」
リュウは、頭の中を支配する戒めの言葉を遮るように、耳を塞いでうずくまった。
何故、こんなにも忌々しい星の下に生まれてしまったのだろう。
これから自分が進んでいく先に与えられたレールは、ただひとつ。
選択肢などない。
拒む余地もない。
この世に生を受けた瞬間から、自分の歩む道は一本しか与えられていなかったのだ。
そう、何も悩む必要などない。
一つしかないのなら、その一つを進むしかないではないか―――――
リュウは、耳を覆っていた手の力を抜いた。
その時。
「リュウーッ」
耳を掠めたその声に、胸が大きく脈打った。
自我を失いかけていた脳が、徐々に覚醒する。
辺りにゆっくりと視線を巡らせる。
「リュウッ!」
背後を振り向いた瞬間、建物の影から声の主が姿を現した。
「や…やっと見つけた…!」
激しく息を切らせて自分の目の前で立ち止まったのは、先程から何度となく目にしている制服をまとった、一人の少年。
「キュウ…」
無意識に口をついた言葉は、自分でも驚くほど弱々しかった。
「やっぱりここだったんだ…!ここじゃなかったら、どうしようかと思った」
キュウは、苦しげに顔を歪めつつも笑顔でリュウに話しかけた。
「どうしてここが……」
リュウは、半ば放心したようにキュウを見つめた。
「リュウさ、自分では気付いてないかもしれないけど、さっき見せた辛そうな笑顔と同じ顔を、
俺が中学校の話をしてる時にも見せたことがあるんだ。だから、もしかしたらって思ってさ…」
キュウは、他の場所も随分探したけど、と付け加えてはにかんだ。
「……本当にキュウは、探偵の素質があるよ」
リュウは、そう言って小さく笑った。
その時、ポツリ、ポツリと小さな水滴が肌を掠めた。
「あ〜、とうとう降ってきたか」
キュウは、頭上に広がる黒い空を見上げた。
眼前に広がるグラウンドでは、部活動を終えた生徒達が、雨に濡れまいと急ピッチで後片付けを進めている。
雨粒はみるみるうちに大きさを増していき、音を立てて地面に落ちだした。
「……リュウ」
暫く無言で空を見上げていたキュウが、口を開いた。
「帰ろう?」
ベンチに凭れているリュウに、すっと手を差し出した。
目の前に伸ばされた手に目をやったリュウは、暫く何かを考え込むように見つめた後、視線を落として言った。
「……帰れないよ」
ポツポツと落ちていた雨粒が、サーッと音を立てて辺りに降り注ぎ出した。
「どうして?」
手を差し出したまま、キュウは尋ねた。
「どうしてって……」
リュウは、膝に乗せていた手にキュッと力を込めた。
「……キュウは知ってるだろ?僕の素性を。だったら、分かる筈じゃないか……」
「分からないよ」
言いよどんだリュウに、キュウははっきりとした口調で返した。
「…分からないわけないだろ?僕は……僕は、冥王星の首領を祖父に持つ、犯罪組織の後継者という立場にあるんだ。
そんな人間が、DDSに…キュウの側にいることなんて、出来るわけないじゃないか…」
語尾は、雨音に掻き消されそうなほど弱々しかった。
そんなリュウに、キュウは尚もはっきりと言い放つ。
「なんで出来ないんだよ」
「なんでってッ」
リュウは、僅かに苛立ちを見せて落としていた視線をキュウに向けた。
その瞳とぶつかった瞬間。
「…ッ」
出かかった言葉は、喉元で阻まれた。
強い光を秘めた真っ直ぐな瞳に屈しそうになる。
「…なんでって……」
ポツリとそう言ったきり、リュウは再び視線を落として口を閉ざしてしまった。
二人の聴覚を、雨音だけが支配する。
「……どうせ」
暫しの沈黙の後、口を開いたのはキュウだった。
「また、自分がいるせいで皆に迷惑が掛かるとか考えてるんだろ」
その言葉に、リュウが僅かに反応する。
「やっぱり」
キュウは、独り言のように呟いて小さな溜息をついた。
「言った筈だろ?リュウがどんな血を受け継いでるかなんて関係ないって」
「…キュウは、楽観的過ぎるんだよ」
雨音に混じって、リュウの搾り出すような声が響いた。
「確かにあの時は、キュウの言葉に救われたよ。キュウの優しさに甘えて、今まで一緒に過ごしてきたよ。でも……」
整った顔が、僅かに歪む。
「もし……もし、キュウに取り返しのつかないような事が起こったら、僕は……」
「いい加減にしなよ」
リュウは、初めて聞くキュウのその声にビクンと肩を揺らした。
その低く静かな声に、身体が硬直する。
「自分が犠牲になれば、それで全てがまるく収まるとでも思ってるのか?」
「……」
「そんなの、自虐的になって自己満足に浸ってるだけじゃん」
「ちが……」
「違わない」
キュウは、反論の余地など与えず言葉を続ける。
「リュウが背負ってるものがどれだけ大きいか、俺にだって想像くらいつくよ。でも俺、言った筈だろ。
リュウの力になりたいって。
俺も、リュウと一緒にその運命と戦いたいんだ」
「でも……」
「一人では無理かもしれないけど、二人だったら出来るかもしれないだろ」
「だから、それでキュウに何かあったら……」
「なんで分かってくれないんだよ!」
それまで落ち着きを払っていたキュウが、初めて叫んだ。
突如感情を露にしたキュウに、リュウは目を見開いた。
「自分のせいで危険が及ぶ事を恐れるリュウの気持ちは分かるよ。でも、だからって何で一人で苦しもうとするんだよ!」
キュウは、リュウの細い肩を強く掴んだ。
「リュウはそれでいいかもしれないさ!でも……」
感情が一層溢れ出す。
「リュウを救いたいっていう俺の気持ちはどうなるんだよッ!」
「…ッ!」
キュウは、リュウの華奢な身体を強く抱き締めた。
雨に濡れて冷え切った肌に、お互いの温もりが伝わる。
「何もかも一人で背負い込もうなんて考えないでくれよ…。俺、いつもリュウの側にいるから…リュウの支えになるから…」
「キュ…ウ……」
「頼むから、ココにいてくれよ…!」
ドクン、と苦しいほどに胸が脈打った。
キュウの声に、体温に、全神経が集中する。
……甘えてはいけない。
今までだってそうだった。
キュウの優しさに甘えて、頼って、そして、今回のような事態を招いたのだ。
そう、キュウたちに出会うまでは、常に一人だった。
それが当たり前だった。
一人になることを、今更恐れはしない。
元の生活に戻るだけなのだから。
でも、でも……。
心ノ底デハ 一人デイルコトガ トテモ辛カッタンダ―――――
リュウの中で、張り詰めていたものがプツンと切れた。
リュウは、自分を抱き締めるキュウの背中にそろりと手をまわした。
「ごめん…キュウ……」
頬を、冷たい雨粒に混じって熱い雫が伝い落ちた。
押さえ込んでいた感情が、一気に溢れ出す。
リュウは、縋りつくようにキュウの制服をギュッと掴んだ。
「ごめん…ごめんなさい……」
震える声で、何度も謝罪の言葉を口にする。
「謝らないでくれよ、リュウ……」
耳元で、それまでの口調とは打って変わって柔らかなキュウの声が響いた。
「ごめ……」
言いかけて、口を紡ぐ。
お互い、少しだけ身体を離し、至近距離で顔を見合わせる。
にこりといつもの笑顔を向けてくるキュウにつられて、小さく笑って。
「ありがとう……」
求め合うように、再び強く強く抱き締めた。
進む先がどんな闇に包まれていても
どんな過酷な運命が待ち構えていても
君が隣にいてくれるだけで、立ち向かっていける
そう ―――――
君のいるその場所こそが
僕の
『在るべき場所』
E N D
Thank You 3900hit!!
To. HIBIKI sama
From. MIZUKI NANASE