愛のカタチ























 寒さも徐々に増してきた秋のとある週末、都内某所で大事件が勃発した。

 DDSでは講師陣までもが現場へかり出され、急遽授業は休講となった。



 時計を見ると、針は正午を指そうかというところ。

 時間も時間だという事で、キュウとリュウは家への帰り道をそれて街へ昼食をとりに行くことにした。



 その途中二人は、わりかし大きな、しかしいつもは静寂を保った神社が普段にない賑わいを見せている場面に出くわした。

「何だろ。お祭りでもあってんのかな」

 キュウは、不思議そうに鳥居の奥を見渡した。

 よく見れば、きっちりとスーツを着込んだ男性やいつもより少しだけ気合を入れたような女性の姿。

 その側には、フワフワのワンピースや半ズボンのスーツ、そして色艶やかな着物を纏った小さな子供たち。

 手には、地面に引きずるほどに長い紙の袋。

「ああ、今日は七五三か!」

 ポン、と手を鳴らしてキュウが声を上げた。

 おぼろげに記憶に残る、苦しい羽織袴を着せられ、母親に連れられて神社へ向かった幼い頃の自分の姿。

 借り物の着物を千歳飴でベタベタにし、こっぴどく叱られた事だけは今でもはっきりと覚えている。

 懐かしさに、自然と顔が綻ぶ。



「あ……」

 突然、キュウのすぐ横を歩いていたリュウが足を止めた。

「え、何?」

「あの子……」

 キュウは、真っ直ぐに向けられたリュウの視線を辿った。

 行き着いたのは、鳥居をくぐった先の人ごみの中。

 歳は2、3歳、羽織袴姿で、少し擦った後の残る千歳飴の袋を手にした男の子の姿。

 泣きじゃくるその側に、保護者の存在はないようだった。

「迷子かな……」

 二人は、すぐさまその場へ駆け出した。






 人ごみをかき分け、男の子の元へ駆け寄る。

「君、どうしたの?」

 キュウは、腰を折って男の子の顔を覗き込んだ。

「………」

 突然見知らぬ少年に声を掛けられ、幼い子供はふっと泣くのを止めた。

「迷子になっちゃったのかな」

 男の子はキュウの顔をきょとんと見つめる。

「名前は?どこから来たの?お父さんかお母さんと一緒だったのかな?」

「ふ…ふええぇ……」

 暫し泣き止んでいた子供は、再び声を上げて泣き出してしまった。

「ああっ、折角泣き止んでたのに…!どうしたんだよぉ?」

「ちょっと、キュウ……」

 リュウは、わたわたと慌てるキュウの肩を軽く引いて体勢を起こさせた。

「そんなに捲くし立てるように話しかけたら、怖がってしまうよ」

 自分も泣きたいというような表情を浮かべるキュウに、リュウはしょうがないなといった様子で その身体を一歩下がらせた。

 そして、泣きじゃくる男の子の目線の高さにあわせてしゃがみこみ、柔らかな笑みを浮かべた。

「こんにちは」

 ゆっくりと、穏やかな口調で話し掛ける。

 暫く様子を見たが、男の子に泣きやむ気配はない。

「今日は、七五三で神社に来たんだね」

 他愛無い話題をふる。

 僅かに声のボリュームを落としだした男の子。

「大きい袋だね。何が入ってるの?」

「…っ……ちと…せっ…あめ……」

 時折声を上ずらせながら、初めて返された言葉。

「そっか、千歳飴が入ってるんだ」

「…うん…っあの…ね…もら…ったの……」

 自らの意思で言葉を紡ぎだす。

「そう、よかったね」

「…うん」

 涙でグシャグシャになった顔を、小さな手で必死に擦る。

 リュウはカバンからハンカチを取り出すと、濡れた頬をそっと拭ってやった。

「お名前、言えるかな」

「ゆう」

 男の子が落ち着いたところで、リュウは本題を持ちかけた。

「ゆう君は、誰と一緒に来たのかな」

「…パパとね、ママ」

「そう。じゃあ、僕と一緒にパパとママの所へいこうか」

 男の子の目の前に、すっと手を差し出す。

「うん」

 小さな手でリュウの細い人差し指を掴んだ男の子には、微かな笑みさえ浮かんでいた。





「ゆう君のお父さん、お母さん、いませんかー!」

 キュウとリュウは男の子を連れ、声を上げて境内を歩き回った。

 隅々まで見渡してみれば結構な広さのある神社、加えてこの人の多さ。

 なかなか目的の人物は見つからなかった。


 三人はいったん人ごみから離れ、敷地の隅にあるベンチに腰を下ろした。

 男の子はすっかり二人になついた様子で、自分が両親からはぐれた事など忘れたかのように、キャッキャと声を上げて 遊ぼうとせがんでくる。

「見つからないな。まだ神社の中にいるとは思うんだけど…」

 男の子の遊び相手をしながら、リュウは困ったといった表情を浮かべた。

「……キュウ?」

 いつも自分が何かを口にすれば必ず言葉を返してくるキュウが黙っているのを不思議に思い、視線を向けた。

「あ…ごめん。なんか、リュウがあんまり子供の世話とかに慣れてるからさ…ちょっと意外だったっていうか……」

 頭を掻きながら、へへ、と照れくさそうに笑う。

「別に慣れてるって訳じゃないよ。この子が人懐っこいんだ。それに僕自身、子供は嫌いじゃないし…」

 普段あまり見る事のない、穏やかな笑みを浮かべる。

 その瞬間、それまでリュウの手を取って遊んでいた男の子が、突如二人のもとから駆け出した。

「えっ、ちょっと…!」

 リュウは、慌ててベンチから腰を上げた。

 しかし、数歩駆けたところで追うのを止めた。

「パパー、ママー!」

 男の子は、必死で人ごみをかき分けて向かってくる二人の男女に、勢いよく飛びついた。





「どうも有り難うございました…!何とお礼を言ったらよいか……」

「いえ、とんでもないですよ」

 深々と頭を下げる男の子の両親に、リュウは丁寧な物腰で答えた。

 父親に抱きかかえられた男の子は、我関せずといった様子で手に持っていた千歳飴の袋をガサガサとあさっている。

 中の飴を取り出したいようだが、なかなか思うようにいかず、取って欲しいと父親の目の前に袋をかざす。

「ほら、お兄ちゃんたちにありがとうは?龍」

「え、リュウ……?」

 リュウとキュウは、思わず反応する。

 しかし、相変わらず千歳飴に夢中な我が子にとにかくお礼を言わせようと必死になっている母親は、それに気付かなかったようだ。

「もう、龍!飴は後にしなさい!」

「…いいですよ、お母さん」

 やんちゃな盛りの我が子に手を焼くその光景に、リュウの胸は温かいもので満たされる。

 それに混じる、微かな哀しさ。

 原因は、リュウ自身はっきりと解っていた。



「本当にありがとうございました。それじゃ……」

 再度お辞儀をして親子が去っていこうとしたその時。

「あい!」

 父親の腕の中から、男の子が身を乗り出した。

 差し出された小さな手に握られていたのは、先程必死で取り出していた一本の千歳飴。

「ゆうのあめ、あげゆね!」

 満面の笑みをリュウに向けてくる。

 どうやら、彼なりのお礼のつもりらしかった。

 まだ正確に発音できないその言葉に、思わず顔が綻ぶ。

「……ありがとう、りゅう君」

 今度こそ去っていく三人の後ろ姿を、リュウはいつまでも見つめていた。





「……ウ、リュウ」

「……え?」

 呼ばれていることをようやく認識して、リュウははっと後ろを振り返った。

「あ…ごめん。僕たちも行こうか」

 本来の目的を果たしに神社から出ようと足を向けたリュウだったが、キュウはそれに伴ってくれなかった。

「リュウ、どうかした?」

「え…何が…?」

 突然の問いかけに、変わらない笑顔で答えた。

 ――――― 筈だったのに。

「…俺の前で、無理に笑わなくていいよ」

 予想外の言葉が返された。

「……無理してるように、見える?」

 逆に聞き返してみる。

「うん。心から笑えてないよ。今のリュウ、何だか辛そうだ」

 断言されて、一瞬の沈黙の後、苦笑が漏れた。

  「…僕が感情を押し留めきれないのか、キュウに洞察力があり過ぎるのか……」

 リュウは、側にあった大木に身を預けて小さく溜息をついた。

「別に辛いわけじゃないよ。ただ……ああいうのを幸せって言うんだろうなって…そう思っただけ」

 脳裏に、先程の親子の姿が鮮明に浮かぶ。

  「親は子供に一心に愛情を注いでる。子供もそれを解ってる。だからこそ、あの笑顔があるんだよ」

「リュウ……」

 寂しげな笑みを浮かべて話すリュウの姿に、キュウの胸がツキンと痛む。

「僕は、物心付いた時には両親はいなかったし…唯一側にいた血縁者のおじい様は、とても“家族”といえる次元の人では なかったから……」

 幸せに満ち満ちた先程の男の子と、異常ともいえる環境の中にいた幼き頃の自分の姿が、心の中でせめぎ合う。

「…駄目だな。名前が同じだったっていうだけで、感化されてるんだ。自分と普通の子供とを比べるなんて、 こんなに馬鹿馬鹿しい事はないのに……」

 ふと視線を落とした先に映った、一本の千歳飴。

「りゅう君、沢山の愛情を貰って幸せになって欲しい。心からそう思うよ……」

 視線をキュウに戻す。

「…ごめん、何だか卑屈になってしまって。…行こう、お腹空いただろ?」

 ふ、と笑って、凭れていた体勢を立て直した。

 が、その身体はキュウによって再び押し戻された。

「え…キュ……」

 不意に、暖かな体温に包まれる。

「ちょ…なに……」

「りゅう君は大丈夫だよ」

 言葉を遮るように、キュウが口を開いた。

「あの時の両親の血相変えた顔、見ただろ?りゅう君は、これからもきっと沢山の愛情を与えてもらえるよ。そして……」

 背中に回された手に、力がこもる。

「リュウの事は、俺が幸せにする」

「え……」

 トクン、と胸が跳ねた。

「愛情の与えられ方なんて、人それぞれだろ?親から与えられる愛情だけが全てじゃない。リュウには、俺があげられるだけの 愛情をあげる」

「……突然、何…?」

 心の奥底で何かが燻りだす。

「キュウ……」

 視線を真っ直ぐに合わせられる。

 真剣な眼差しに、目を逸らすことが出来ない。

「俺、リュウに幸せになって欲しいんだ。リュウが幸せでいてくれる事が…リュウが心から笑ってくれる事が、俺の幸せだから」

「………ッ」



 何故この人は、いつも自分の核心を突いてくるのだろう。

 何故この人は、自分自身ですら気付いていなかった感情を掘り起こしてくれるのだろう。



「俺じゃ、迷惑?」

「べ…つに、迷惑だなんて……」

「…よかった。嫌がられたらどうしようかと思った」

 クスクスと笑う。

「俺さ、…リュウの事、大好きだよ」

 額と額が、コツンと合わさる。

「…リュウは?」

 誤魔化しも回避も出来ない単純で深い問いに。

「……………同じ」

 真っ赤に染まった顔で、どうにか聞き取れるほどの言葉を返した。

 その姿があまりに愛しくて。



 柔らかな唇に、触れるだけのキスをした。



「ッ…キュウ……!」

 弾かれたように頭を引く。

「……こんなところで何を……」

「こんなところじゃなかったら、いいの?」

「何言って…」

 今度はこめかみに唇を寄せる。

「ちょっ……」

「大丈夫。木の陰になって、向こうからは見えないよ」

「そういう問題じゃ……」

 どんどん顔を火照らせるリュウの姿に、キュウはクス、と笑う。

「リュウは、俺とこういうことするの、嫌?」

「……ッ」

 きっと他の人間の前では決して見せない、不敵な笑み。

 その瞳は、絶対に拒絶されないということを確信している。

「……ずるいよ、ソレ」

「へへ」

 観念したような表情のリュウに、キュウはいつもの屈託のない笑みを見せた。





 神に我が子の幸せを祈る両親とその子供たちを、木一本で隔てた境内の片隅。

 二人は互いの幸せを誓い合うように。





 精一杯の愛情を込めて、深い深いキスをした。

 









E N D.