今朝も、そのシーツは冷たかった。












 You don't know... 〔β〕
















 心地の良い浮遊感。
 ゆるりと目を開ける。
 徐々に視点が合ってきた瞳が、最近ようやく見慣れてきた白亜の天井を捉えた。
 どことなく気だるい身体を、思い切り伸ばす。

「ぅ…ん……」

 シュルリ。

 しなやかなシーツの上に、腕を滑らせる。
 そして、不意に気付いた。

「冷たい……」

 二人で寝ても十分に余裕のある、キングサイズのベッド。
 昨夜、フワフワと眠りに誘われていたときは、その温もりはそこに存在していたはず。

 少しだけ乱れたシーツが、何よりの証拠。





 サイドボードの時計は、AM6:00を告げようとしていた。
 広い寝室を出て、長い廊下をパタパタと歩き、ひとつのドアの前で立ち止まる。

 コンコン。

 小気味良い木の音。
 続けて、心地よい、あの低く澄んだ声が返される筈だった。

「……?」

 しん、と静寂を保つ空間。

 コンコン。

 二度目も同じ。

「ケルベロス……?」

 少し躊躇いつつ、ドアノブに手をかけた。

 カチャ。

 ドアの隙間から、遠慮がちに顔を覗かせる。
 きちんと整理された、あの男の書斎。

 そこには、無機な空間だけが広がっていた。





 ここ最近、あの男の寝顔を見たことがない。
 原因は、ある程度察しがつく。
 だから、忠告していた。
 程々にしておけ、と。
 それなのに―――――。

 カチャ。

 朝の白光が柔らかく差し込む、広いリビング。
 その中でも最も明るい、窓辺のソファー。

 漆黒のスーツ。
 きちんと整えた髪。
 手には、数枚の書類。

 早朝のリビングにはあまり相応しくない姿で、その男は静かに眠っていた。





「はぁ……」

 思わず小さな溜息が漏れる。

 極力物音を立てぬよう、そっとドアを閉める。
 足音を忍ばせて、男の側へ近寄る。

 本来ならば、僕がリビングのドアを開けた時点で目を覚ましている筈。
 それなのに。

 静寂に包まれたこの空間でも聞き取る事が出来ないほどの、小さな寝息。
 頬杖をついたまま、ピクリとも動かない身体。
 その姿は、まるで生を絶った抜け殻のようで。

「ケル……?」

 思わず、手を伸ばした。

 男に触れる寸前で、ふと手が止まる。
 不意に脳裏を掠めた、シーツの冷たさ。
 恐る恐る、血色の殆どないその頬に触れようとした瞬間。

 パチリ。

 突如、琥珀の瞳に自分の姿が映し出された。

「…ッ!」

 驚いて、伸ばしていた腕を反射的に引こうとしたが。

「え……」

 男は、頬杖をついていた手で僕の腕を掴み。

「う、わ…ッ!」

 強く引き寄せたかと思うと。

「ん…!」

 呼吸も、声も、その唇で奪い取った。





「おはようございます、流様」

 一糸の乱れもなく、さらりと言い放つ男。

「な…な…ッ!!」

 肩で息をしながら口を開いたが、あまりの唐突な出来事に、脳がついて来ていないようだった。

「お前、寝て……」
「ええ、眠っていたようですね。流様がドアを開けられた音で目が覚めましたが」
「騙したのか、僕を…」
「いいえ。流様がご自分で眠っていると勘違いされたのではないですか」
「……」

 身体に熱が広がった。
 そんな僕の姿に、男はクスクスと笑みを零す。

「一体、私に何をなさるおつもりだったんですか?」
「…別に、何も」

 多少冷静さを取り戻しつつある脳は、表面上は落ち着きを払った言葉を紡ぎだしてくれる。

「では、この手は?」

 未だつかまれたままの腕に視線を移す。
 明らかに全てを悟った上で言っているから、性質が悪い。

「別に…」

 一旦逸らした瞳を、そろりと男に戻す。
 その時改めて、は、と気付いた。

 取り繕ってはいるが、微かに垣間見える、疲れの色。

「…程々にしておけと、言ったはずだ」

 ほんの一瞬、男は驚いた表情を浮かべた。
 しかし、また再びいつもの不敵な笑みに戻る。

「心配して下さるのですか?」

 僕の反応を楽しんでいるかのような、問い掛け。

「誰が……」

 思わず反論しかけて、きゅっと口を紡ぐ。

 お前はきっと気付いていない。
 お前から与えられる全ての思いが。
 お前を思うこの気持ちが。

 どれ程大きいかという事に―――――。

「人の気も知らないで……」

 男の頬に、そろりと手を添える。
 手のひらにじわりと伝わる、心地の良い体温。
 身体中が、男の温もりで包まれる。
 それはまるで、この男の腕の中にいるのと同じ感覚。

 自分らしからぬ感情に、頬が熱を持つ。
 恥ずかしくてすぐに離れようとしたその時、すかさず男の手が僕の頬に添えられる。

「…ッ」

 思わず、ビクッ、と身体を竦ませる。

「存じておりますよ」
「…え?」

 反射的に閉ざした瞼をゆっくりと開けて、男の瞳を見つめる。

「全て、存じております」

 確信を持って放たれた言葉。

「よく言う……」

 思わず笑みが零れた。





 柔らかな日の光。
 爽やかな空間。

 澄んだ空気は、僕の心の中にある濁ったものを、全て拭い去ってゆく。

 だから、今だけ。
 普段はなかなか表に出せない、この思いの全てをこめて。

 その唇に、優しいキスを。





E N D.







当サイト的ケル流…と思ったけど、途中からやっぱり偽者になったかも(滅)。
でも、こういう感じの二人も好きなんですよ。
無理やり〔α〕と関連付けたんで、ちょっと苦しい言い回しとかあったり。
SSとか言いながら、無駄に長くなってしまった駄作でございました。