まだ この気持ちの本当の意味を知らなかったあの頃
ありったけの思いを込めて 何度も何度も口にした

「好きだよ」

その言葉を飲み込むようになったのは
一体いつからだっただろう










 どうかお願い、気付かないで





















担任と二者面談を済ませ、「失礼しましたー」といつもの間延びした声を上げて職員室をあとにする。
ひやりとした風の吹きぬける渡り廊下をバタバタと駆けて渡って各学年の教室のある棟へ勢いよく駆け込むと、上階へ続く階段を一気に駆け上がる。

学年規模で面談が行われ自習中の筈の三年の教室は、どこもにわかに騒がしい。
ラビは、階段を駆け上がった勢いをそのままに、ざわめきの漏れる廊下を進んで己の教室の扉をガラリと開けた。

「ようラビ、お帰りー」
「判定どうだったよ」

クラスメイトが次々と投げかけてくる言葉に意識の隅で返事をしながら、窓際の一番後ろにある、教室に辿り着くまでずっと頭の中を占拠していた幼馴染 ――― 神田の席を見やった。
きっと彼も例に漏れず自習などそっちのけで、柔らかな秋の陽光が差し込む特等席で居眠りでもしているに違いない。

そう思った視線の先にあったのは、机の上にきれいに重ねられたテキストとノート。
そして、整然と押し込まれた椅子。

「…あれ?」

級友と雑談でもしているのかと、ぐるりと教室を見渡す。

「ああ、神田ならさっき保健室に行ったぜ?」

察した一人が口を開いた。

「…え?」

ラビの顔色が一瞬にして変わる。

「なんか気分悪そうでさ、ほら、アイツ部活引退してからもずっと後輩の指導とかしてるじゃん。受験勉強との掛け持ちで結構無理してたんじゃ…っておい、ラビ!?」

話を聞き終わらぬが先、ラビは勢い良く身を翻し、閉めかけていたドアを再び開けて廊下へと駆け出した。







ラビは校舎の端に配置されている保健室の前に辿り着くと、その扉を微かに開けてそっと中を窺った。
壁際に並ぶベッドの一箇所だけにアイボリーのカーテンがひかれている。
室内に、保健教諭やその他の生徒は見当たらなかった。
ラビはそろりと扉を開けて中に入ると、上がる呼吸をそのままに、一番窓際に置かれたそのベッドに歩み寄った。

カーテンの隙間から中を覗くと、真っ白なシーツの上に弧を描く漆黒の長い髪が目に映った。
その髪の流れを辿ると、相変わらず見目の良い、しかしいつもより血の気の失せた、その人の顔はあった。

「ユウ…?」

完全に意識を手放しているらしい神田は、その呼びかけに全く反応を示さない。

「ユウ…」

外光に照らされたその肌は、シーツに溶け込んでしまいそうなほどに真っ白で。

人形のように横たわるその姿はラビに衝動的な不安を与え、気付いた時には、小さなその顔に手を伸ばしていた。

きめ細かな肌が、指先を滑る。
目を覚ます気配はなく、そのまま包み込むよう頬に手を添える。
手の平に、多少低めではあるが確かな人の温もりが伝わってきて、ラビは小さく溜息をついた。

「なんで、いつも一人で頑張ろうとするんさ…」

持って生まれた性格なのだろう、神田は幼い頃から人知れず自分を限界まで追い込む傾向があった。
その事に気付き見守ってきたのは、両親より長い時間を共に過ごしてきたラビだけだった。
過去に何度か「無理をするな」と言い聞かせた事はあったが、その度に神田はラビの言葉を突っぱねてきた。
聞き入れない、というより、自分を追い込んでいるという自覚自体を持ち合わせていない、と言った方が正しいだろう。
根が真面目であるがため適度に妥協する事を知らないその性格は、神田を強く成長させると同時に、相当に苦しめているのも事実だ。

「俺、こんなに側にいるのにさ」

頬に添えた手をずらし、その親指で淡く色付く神田の唇をそっとなぞった。
思いの他柔らかなその感触に、意識が引きこまれる。

「なんで頼ろうとしてくれないんさ、ユウ…」

ラビは、空いた手を枕元について、その細い身体に覆い被さるようゆっくりと上体を折った。
硬いスプリングが、一点に重さを受けて神田の身体ごとぐっと沈む。
吐息を、その体温を感じるほど近くに、神田の整った顔が迫る。
ラビは、ゆっくりと瞼を閉じた。

その時。

「ん……」
「っ!!」

耳元で小さな呻き声が響き、ラビは弾かれたようにその上体を跳ね起こした。
静かな室内に、ベッドのきしむ音が高く響いた。

薄い瞼が気だるげに持ち上がり、深い海を思わせる青藍の瞳が光を含んで揺れた。
ラビはただただその場で身体を固め、夢と現の狭間をたゆたう神田の様子を息を詰めて見つめていた。

細く開けられた瞳は暫しゆらゆらと彷徨い、すぐ横に立ち尽くすその姿を映したところでピタリと止まった。

「……ラ、ビ…?」

虚ろなその瞳に見つめられ、掠れたその声に呼ばれて、ラビの心臓は痛いほどに脈打った。

「あ……どう?気分…」
「…大分良くなった」

必死で平静を装って差しさわりのない言葉を投げかけてみると、ぽつりと返事が返された。

「…何でここにいんだ、お前」
「いや…ユウが保健室に行ったって聞いて、心配で…」
「別に大した事はねェよ」

「心配性過ぎんだよお前は」と呟いて、神田は小さく息を吐き出した。
いつもと変わらぬ態度、素っ気ない口調。

気付かれて、ない?

確信が掴めないまま流れる、気まずい沈黙。
何か喋らなければと巡らせる思考を、耳障りなほどに響く鼓動の音が邪魔をする。
そんな中、先に口を開いたのは神田だった。

「…お前、どっかおかしいんじゃねェか?」
「え…」

「いつもと、違う」


普段は直線的な物言いをする神田だが、今回ばかりは、言葉の一つ一つに裏があるのではないかと疑念ばかりが先に立つ。

話を逸らすべきか、それとも、あえて真意を探ってみるか。

一人考えあぐねていると、神田は胸の上にのせていた腕を持ち上げ、ラビに向けてのばしてきた。
手首を緩く掴まれ、促されるままベッドにストンと腰を下ろす。
そのまま更に引っ張られ、気付いた時には、その胸の上に頭を預けるよう上体を横たえていた。


「お前も寝とけ」







ふっと、ラビの身体から力が抜けた。
息苦しいほどの空気から、痛いほどの鼓動から、一瞬にして解放される。



ああ、本当に、この人は―――――。





「…なんだよ」
「ん?別に」

突然クスクスと肩を揺らして笑い出したラビを訝しがりながら、神田はラビの手首から手を離した。
しかし、今度はラビがその手を捕らえて握り込む。

「ラビ?」
「ユウの手、冷たいさ」
「…お前の体温が高過ぎんだよ」

ラビは、限りなく自然に、その表情を神田の視界から隠すよう背を丸めてその手を胸元に引き寄せた。

「……そう、かも」

そう言って、神田の手を包み込んだ己の手に、静かに静かに、唇を落とした。







どうしても、伝えられない事がある。



これ以上、求める事は叶わない。
ただ、壊れなければそれでいい。



だから



どうか届くな、この思い―――――。








E N D...?



まだ『幼馴染』な二人 です、一応、これでも;;
一部表現を濁した所がありますが、取り敢えずはご想像にお任せということで〜。
というか、続くかもしれません、これ…。

お題;『不器用な恋に10のお題』より。